キクの知識
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キクの歴史
の表には、菊がデザインされている。日本にも350種ほど野菊(下記参照)が自生しているが、ヨモギのように食用とされ、観賞の習慣は平安時代頃、中国から秋の重陽の節句とともにもたらされる。万葉集には全く現われないが、古今和歌集|古今集あたりから盛んに歌にも詠まれるようになった。心あてに折らばやをらむ初霜のおき惑わせる白菊の花(凡河内躬恒 - 百人一首|小倉百人一首 第29番)春のサクラに対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽天皇|後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を天皇家家紋とした頃からである。また、九州の豪族菊池氏も家紋に「菊花」もしくは「菊葉」を使用している。江戸時代前期から栽培熱が高まり、育種が進んで多数の品種が生み出され、正徳 (日本)|正徳頃からは「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評がしばしば行なわれた。また、江戸、伊勢、京都、熊本などでそれぞれ独自の品種群、系統が生じた。「三段仕立て」などの仕立ての様式やその丹精の仕方なども発達し、菊花壇、菊人形など様々に観賞された。これらは江戸時代から明治、大正時代にかけて日本独自の発展をした古典園芸植物の1つとして、現在では「古典菊」と呼ばれている。全般に花型の変化が極めて顕著であるのが特徴で、「江戸菊」には咲き初めから咲き終りまでの間に、花弁が様々に動いて形を変化させるものすらある。このように発展した日本の菊は幕末には本家の中国に逆輸入され、中国の菊事情を一変させた。明治時代になると、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いている。ヨーロッパへは18世紀後半に中国からもたらされたが、人気がなかった。その後幕末の日本から様々な品種がもたらされると、これが大変な人気を呼び、人気が出て、以後イギリスを中心にヨーロッパでも菊の育種が盛んになった。特にイギリスでは最後のフローリスツ・フラワーの一つとなった。このように、日本美術が西欧美術に多大な影響を与えたのと同じく、菊をはじめとする日本の園芸植物もまた西欧の園芸育種に大きな影響を与えたと言われている。その後西欧では切り花用や修景用など生産園芸分野での育種が進み、スプレーギクなどが生まれている。一般に日本で観賞用多年草植物として発展した系統、品種群を和菊、西欧に渡り育種されて生まれた系統、品種群を洋菊と呼ぶ。一般に洋菊のほうが丈夫である。鑑賞園芸的には和菊、生産園芸的には洋菊が中心に栽培されている。現在では各地に愛好会ができる一方で、秋にはそれらが主催の品評会が開かれている。日本で菊の栽培が盛んになったのは、栽培のプロセスが冬に芽をとり、春に植え、夏に成長させ、秋に観賞するといった具合で、イネの栽培と類似していることが影響しているとの説がある。また、切花としてはグラスハウスでの電照栽培で周年出荷されている。バラ、カーネーションとともに生産高の多い花卉である。
キク科 セントウレア属の秋蒔き一年草。ヨーロッパ原産。 マーガレット (植物)|マーガレット(モクシュンギク-木春菊) テンニンソウ(トッコウギク-神風特別攻撃隊|特攻菊) キンポウゲ科アネモネ属の耐寒性宿根草。半日陰を好む。(en:Japanese Anemone) クマツヅラ科の灌木|亜灌木、庭などに植えられる園芸植物。 ツルナ科の常緑多年草...
